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越後湯沢の主な神社

湯沢町には、いくつかの神社があります。
川端康成が小説雪国を熟考するのに散策したといわれる諏訪(すわ)神社や、観光産業発展のために建てられたスキー神社。
住民に愛され、7月には盛大な祭りが行なわれている伊米(いめ)神社などなど。

【参考文献 湯沢町史・双書8 湯沢町の民俗U 人の越後―湯の里湯沢・まつりごと−】を元に、地元の方からの聞き取りを交えながら湯沢の神社をご紹介したいと思います。

湯沢町では苗場山のような高い山に神様がいると信じて遥拝したり、登山をしたりして祈願の心を充たそうとした。
このような山ノ神を集落の四角に祀ることによって容易に願いが叶うように石宮や社を建て祭りをしてきた。といわれています。

諏訪社

諏訪社祭神は建御名方名で、長野県諏訪湖の守護神である。
神話の中では、国譲りの話し合いを、力比べで決しようとした神様で、諏訪神社の祭礼では、奉納相撲などが盛んに行われた。

例祭は、8月17日、祈年祭は5月30日である。
境内神には、天神社(祭神は菅原道真)がある。


魚沼神社

魚沼神社祭神は、天児屋根命の三柱を祀るので、神立三社大名神と呼ばれた。
祭礼は、5月8日・8月19日・10月5日。


伊米神社(いめじんじゃ)

伊米神社奥の院は、苗場山山頂にある。行者の勇道坊一心という人がかいた『苗場山略縁起』(嘉永元年、1848年)を要約すると、苗場山の祭神は、七社で、作神さまとして祀られた。

伝説では、法印霊雲上人(天台宗の大あじゃり、僧侶の師とすべき人)が北国への布教にあたり、苗場山へ登られた。すると、白髪の老人が現れ、『吾はこの山の地主神である。吾とともに五穀豊穣、生物群生、国土安堵を擁護すべし』と伝えた。上人は、ここに伊米神社を開山したという。このとき、龍ガ壷という洞穴に、七仏薬師堂を建立して、鰐口を奉納した。

伊米神社の例祭は、7月11日・12日である。

11日の宵祭りには、太々神楽が奉納され、12日の本祭りには、みこしが練り歩き、賑やかな踊りが御仮屋ごとに披露される。
また、獅子神楽のお祓いが各家々を巡回して、近郷まれな祭礼行事が、現在も行われている。


熊野神社

熊野神社上熊野堂の高台にある熊野神社は、祭神が櫛御気野命(くしみけのみこと)だと記されている。歴史は古く、応永9年(1402年)に創建されたと伝えれいる。
くまんどう(熊野堂)では、熊野狩猟をせず、熊の肉は食べないものとされていた。
例祭は、8月14日・15日。11月3日である。

温泉街の南端にひっそりと入り口がある。
石段を、8段・5段・8段・52段・11段・32段登ると、山の中腹にある社殿に到着。


多聞天 毘沙門堂

多聞天 毘沙門堂日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例。
神立地区では「びしゃもんさま」と呼ばれ親しまれている。湯沢町指定文化財の『天狗杉』も毘沙門堂境内にある。

浦佐普光寺毘沙門堂の像と同じ木から造られた毘沙門天像が安置されていたのだが盗難により失われ、現在は新たに造られた像が安置されている。
毘沙門天は上杉謙信が篤く信仰していたことでも知られ、上杉軍の旗印には『毘』の文字が使われていた。

例祭は、例祭8月13日、14日である。左の写真は例祭時。


スキー神社

スキー神社湯沢町史・双書7 湯沢町の民俗(T)雪の湯沢−山里湯沢・三国越え−より

昭和51年10月布場スキー場の中腹にスキー神社が創設された、湯元の諏訪神社境内にあった社殿の立替にともない、布場町内が旧社殿を譲り受けたものである。

スキー神社の祭礼は、毎年スキー場開きの12月12日に開催している、この時、スキー場や旅館関係者が集まって本城寺の山伏から祝詞をあげてもらいお神酒を供えてシーズン中の安全を祈願する。

毎年3月の第一土曜日には、越後湯沢温泉雪まつりが開催される。

雪を積んで作った供養等のうえに、役目を終えたスキー板やボードが祀られ、山伏がたいまつで着火する。(スキー供養)

ご神体には、スキーの神様を祭る。
はっぱき(きゃはん)姿でスキーをはいた山の神様のようなもので、ノルウエーで発見されているヨーロッパのスキーの神様ウルルと似ているという。


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