湯沢を訪れた文人墨客
川端康成以外にも多くの文人墨客が来町した、明治~昭和12年頃。
左の写真は新潟群馬県境、三国峠の三国権現前にある石碑。
三国峠を越えた人々として文人墨客や上杉謙信など武将の名が刻まれています。
明治15年~昭和12年(1882年~1937年)
森鴎外の三国越えと与謝野晶子・北原白秋の湯沢来遊など
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川端康成
川端康成が昭和9年~12年までの間、数度にわたり湯沢の高半に逗留し『雪国』を書き上げた。写真は高半の『かすみの間』
この雪国という作品はもともと1つのストーリーで作られたわけではなく、複数の作品を色々な雑誌に分載発表し、それを推敲して完成された。分載された内容は下記のとおり。
- 雪国について (参考:遺稿雪国抄 影印本文と注釈・論考 平山三男編者)
- 夕景色の鏡 文藝春秋 1935年 昭和10年1月
- 白い朝の鏡 改造 1935年 昭和10年1月
- 物語 日本評論 1935年 昭和10年11月
- 徒労 日本評論 1935年 昭和10年12月
- 萱の花 中央公論 1936年 昭和11年8月
- 火の枕 文芸春秋 1936年 昭和11年10月
- 手鞠歌 改造 1937年 昭和12年5月
- 旧版雪国 創元社 1937年 昭和12年6月刊
- 雪中火事 公論 1940年 昭和15年12月
- 天の河 文芸春秋 1941年 昭和16年8月
- 雪国抄 暁鐘 1946年 昭和21年5月
- 続雪国 小説新潮 1947年 昭和22年10月
- 決定版雪国 創元社 1948年 昭和23年12月刊
- 定本 雪国 牧羊社 1991年 昭和46年9月刊
森鴎外
明治15年
3月26日
晴れたり。六日町、塩沢、一日市、関町、湯沢、柴(芝)原峠など打ち過ぎて三俣なる池田といふ宿に宿りぬ。
3月27日
雪ふる。二重峠をこえて二重駅に入る途にて、猟夫のクマを獲て還るに逢ひぬ。三国峠をこえゆ。土人の冰を 踏みて山を下るを見るに、皆蟹のごとく歩みてぞ下る。
3月28日
風烈し、霧窪山、中山などこえて渋川より高崎に入る。
10月31日
晴れたり。六日町、塩沢を過ぎ、関にて車を代ふ。関までは二人乗の車ありしが、ここにては1人乗のみなりき。湯沢にて馬を雇ふ。湯沢の温泉街のいでゆなどあり。三俣峠、中の峠、赤小豆峠、二重を経て、夕暮れに浅貝なる綿貫といふ家に着きぬ。
11月1日
曇れり、轎にて三国峠に登る。
(参考資料:森林太郎 鴎外全集 第35巻 昭和50年岩波書店)
与謝野晶子
昭和7年5月11日
- 北海へ越の雪解のにごり川おもむく音を聞く湯沢かな
- 若葉する湯沢を巻けり大かたは越の五月のしら雪の山
- 山上の腰の湯沢の夕餐(ゆうげ)とてあけびの芽食(は)む禅師のやうに
- 家高し踏みゆく廊につづくなり杉の紫紺のあけぼのの色
- 雲かかり越のむら山哀れなり塵に曇ると云ふならねども
(参考資料:与謝野晶子全集 第6巻 昭和9年 改造社)
北原白秋
初冬湯沢行 昭和12年
写真は高半の文学資料室の北原白秋の書
•湯沢の宿
◦山国はすでに雪待つ外がまへ簾垂りたり戸ごと鎖しつつ
◦山の宿屋内暗きに人居りて木蓼(またたび)食めり冬をひそけく
◦父が曳く柴積み車子が乗りてその頬かぶり寒がり行きぬ
◦手にひろふものの落葉はつくづくと 眼さきすがめて見るべかるらし
(参考資料:北原白秋 白秋全集 第12巻 昭和61年 岩波書店)